『春琴』世田谷パブリックシアター
パブリックシアターは1回だけ舞台側から見たことがあってその時はすごく広く感じたんだけど、今回自分の席(2回最前列)から見た感じ、結構こぢんまりしとしてるなあと思いました。悪い意味じゃなく、どこにいても舞台がしっかり見える作りなんだと思います。
このお話は谷崎潤一郎の『春琴抄』『陰影礼賛』に着想を得て(?)作られたもの。
演出家さんが外国の方のせいか、舞台横の壁(よく時計とかがあるところ)に電光掲示板があって、そこに逐一英語訳が出てました。
で、古い題材で、出てくる言葉も時代がかってるというか現在日常的に使わない漢語調の言葉が結構あって、英訳の方で意味を確かめたりしてorz いい歳した大人なのに母国語も分からんとは…
また、谷崎潤一郎と言えば『陰影礼賛』でじっとりした闇の美。そこを変に歪んだジャポニズム風でもなくしっとりと淡々と描かれていると思いました。
舞台上は特別セットもなくシンプルで、黒子さんたちが「何かを何かに見立てて」いろいろな場面が表現されてるのが印象的でした。
その最たるものが幼少〜少女期の春琴。
深津絵里含む、2人掛かりで動かされている人形が、春琴。
私は視力が良くないのでしっかりとは見えなかったけど、リアル人形が苦手なので却って良かったと思っている。まして春琴は着物きてるんだから、薄気味悪いと思ってしまうのも多少の同意は得られるものと思うw
(少女…ではなくなるころは、お人形じゃなくて生身の女性を、お人形よろしく操っていたみたい。)
そのくせ、なんか全てが生々しい。肉感的。
すべてが湿っているみたいな、生暖かいみたいな、ちょっと気持ち悪い感触がする。
春琴(もう人形じゃなくて深津絵里その人なんだけど)が「2度目の災難」に遭うところ、佐助が自ら……するところ、直視出来なかった。
そして、そもそもこの二人の関係が依存ていうか、閉じてて、フツウじゃなくて、プライドの高い春琴には怒られてしまいそうだけどwなんか近親相姦みたいな、不健全にえっちいんだよ。気持ち悪い。
春琴がお人形から深津絵里に変わる瞬間だけが、彼女の本音に触れられた気がする。
ただの所有欲だとしても、やっぱ愛着があるから怒れちゃうわけで。
可愛げのない女の子だなと思ってたけど、ここだけはヤキモチ焼きで可愛いと思った。
あと、2度目の災難のあとの「佐助にだけはこの顔を見られたくなかった」という言葉。
やっぱり好きな人の中では綺麗でありたかったのかな、とか。哀れまれるのが嫌だったのかなとか。
そこで自分の目をついちゃう佐助の気持ちがキモイと思う訳だがw
なんかもう、文字通り盲目的な愛、献身だよね。
現代では隅々まで明るく照らされて谷崎の語る陰影が消えていってしまったし、そういう形の愛は不健全とされてしまって、なかなか存在し得ないんだろうなあ。
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